以前の記事でも、ナレッジやナレッジマネジメントについていくつかの学説をベースに論じたが、本稿では、コパイロツトが考えるシンプルなナレッジ、ナレッジマネジメントの定義について紹介をしたい。 これは、学術的な議論で積み上げられるものが、学術的な正しさを追求することを目的としており、必ずしも実際のビジネス・業務で使いやすい形になっているわけではないと感じているからである。もちろん、以下で記載するものが絶対唯一の正解ではないので、今後もご指摘をいただきながら、アップデートしたい。
ナレッジとはなにか
まずナレッジの定義について考えたいが、その入口として以前の記事でも言及したDIKWモデルから言及したい。
DIKWモデル1は、情報や知識を4つの階層(「データ」「情報」「知識」「知恵」)で捉えようとするモデルで、ナレッジマネジメントの分野でもしばしば参照されているモデルである。これらは、情報や知識というものを理解する上で非常に参考になるモデルではあるが、そうであるが故に論者によって多様な定義がなされてしまっているということと、また、厳密な定義をしようとしているが故に実際のビジネスにおいてナレッジマネジメントをしようとする場合には少々使いづらいという問題があるように感じている。
以上の問題意識から、コパイロツトではDIKWモデルの考え方をベースにしながらも、実際のビジネスや業務で使いやすいシンプルな定義として下記を用いている。
DIKWモデルが大きく4層であるのに対して、コパイロツトでは「情報」と「ナレッジ」という2階層で表現しているが、「情報」と「ナレッジ」の2つで、ナレッジマネジメントを進めていく上での基本的な考え方は整理できると考えている。
「情報」は、DIKWモデルの「データ」と「情報」に該当する部分で、コパイロツトでは「業務を通じて蓄積されるログ」と定義している。「業務を通じて蓄積されるログ」には様々なものがあるが、特に、会議のアジェンダ、議事録、ふりかえりを行った記録など、業務や組織の状況を表すスナップショット的な情報を記録することがナレッジマネジメントを行っていく上での基本的動作として非常に重要なものであると考えている。なぜなら、業務の現状を表すログが残っていてこそ、生み出すべきナレッジを議論することができるからである。
もう一方の「ナレッジ」は、DIKWモデルの「知識」と「知恵」に該当する部分で、 広義には「ノウハウや方法論」と定義している。梅本2によれば、「知識」は「行為につながる価値ある情報体系」、「知恵」は「実行されて,有効だとわかり,時間の試練に耐えた知識」とされているが、基本的な考え方は同じであると捉えている。 このように定義される「情報」と「ナレッジ」であるが、ナレッジマネジメントを考える上では、この2つの違いを認識しながら組織の状況を捉えていくことで、ナレッジマネジメントのプロセスが回りやすくなると考えている。なぜなら、「情報」が「ナレッジ」を生み出す資源になるとともに、「ナレッジ」が「情報」を生み出すためのフレームを提供するからである。「情報」を適切に記録・可視化していきながら、蓄積された情報を参照しながら「ナレッジ」を生み出していくとともに、生み出されたナレッジをベースにして蓄積していくべき情報を再定義し、あらためて記録・可視化していくという「情報」と「ナレッジ」の動的なプロセスをイメージしながら業務を行うことにより、その業務においてどのような情報を記録し、そこからどのようなナレッジを構築していくかというイメージが持ちやすくなるのである。
ナレッジとメソッド
このような考え方を基本としながら、コパイロツトではナレッジの中でも「複数のプロジェクトに適用可能な汎用性の高いナレッジ」を「メソッド」と呼び、狭義のナレッジ(特定のプロジェクトのために構築されたノウハウや方法論)と区別して考えている。この意味は2つある。1つは、ナレッジによって汎用度・抽象度には違いがあるということ、もう1つは、いきなり抽象度の高いナレッジ(ここで言う「メソッド」)を必ずしも目指す必要はなく、自分が関わっているプロジェクトにおけるナレッジ(ここで言う「狭義のナレッジ」)を生み出せば良いということである。
ナレッジとメソッドの使い分けと同様のことは「パターン・ランゲージ」の分野でも提唱されている。パターン・ランゲージは建築家クリストファー・アレグザンダーが提唱した概念で、ある事象に関する知識記述の方法論であるが、井庭ら3は「個別的なパターン・ランゲージ(プロジェクト・ランゲージ)」と「普遍的なパターン・ランゲージ」を分けて議論している。厳密な意味でナレッジ/メソッドと個別的なパターン・ランゲージ/普遍的なパターン・ランゲージが一致するものではないが、普遍性(抽象性)←→個別性(具体性)という違いを意味しているという点では同様である。 ここで大切なのは、ナレッジとメソッドをそれぞれ別々のものとして認識するのではなく、関係性の中で把握していくことが重要である。そのことにより、「普遍的(抽象的)な方法論」と「個別的(具体的)な方法論」を行き来することができるようになるため、両者の価値がより高まっていく。「それは抽象的/具体的すぎて使えない」というような指摘がなされるケースはどの組織でもあると思われるが、両者を行き来することができれば、そのような批判は生まれにくくなる。
ナレッジマネジメントの定義
これまでの議論を土台にして、最後に、コパイロツトが考えるナレッジマネジメントの定義を紹介したい。
ナレッジマネジメントとは、
・情報を蓄積し、その情報からナレッジを生み出し、使いやすいものにしていくことにより(ナレッジのマネジメント=狭義のナレッジマネジメント)、
・実際の業務や組織をより良いものにしていくための一連の行為(ナレッジによるマネジメント=広義のナレッジマネジメント)
このように2つの視点から定義しているのは、たとえば野中が下図で示しているように、ナレッジマネジメントとして言及される場合に狭義のナレッジマネジメントと広義のナレッジマネジメントがあるためであるが、これらに対する評価は若干異なる。ナレッジマネジメントに対する議論として、「知識経営のような広義のナレッジマネジメントこそ大事であって、知識管理的な狭義のナレッジマネジメントは本質ではないし、狭義のナレッジマネジメントだけでは意味がない」という批判がなされることがあるが、コパイロツトでは狭義のナレッジマネジメントの取り組みを積極的に評価し重視4する。なぜなら、情報のログを残しながら、その情報をもとに有効なナレッジを残していくという地道なプロセスこそが長期的な組織の力の源になるのであり、そのことは、働き方がよりプロジェクトベースになっていったり、組織構造も従来の固定的なヒエラルキー型から流動的なネットワーク型に移行していく流れにある今こそ、より重要になってきているように思われる。
(出典:知識経営のすすめ(野中郁次郎))
ナレッジマネジメントは、組織のためのものではなく、個人個人のためのもの
最後に、ナレッジマネジメントについての個人的な雑感を述べたい。 野中が述べているように、ナレッジマネジメントはビジネスや組織のために行われているものであるが、その根本には「個人を個人たらしめる」ところにこそ価値があるように思う。川喜田二郎もKJ法を論じる中でそのような趣旨のことを何度も指摘しているが、ナレッジマネジメントも同様である。それが最終的にビジネスや組織のためにあるものだとしても、個人の発想やアイデアが引き出されて、個人が自分の価値を感じられるようになるからこそ、結果として組織としての活力が高まるのである。その意味で、ナレッジマネジメントは機械的なマネジメントツールではなく、非常に人間的な存在だと考えている。
プロジェクトファシリテーター、プロジェクトコンサルタント。
プロジェクト・組織の推進をPMとして関わりながら、プロジェクト・組織の未来に必要なナレッジ・知を言語化するサポートをしています。
対象分野は民間企業のDX領域が中心となりますが、シンクタンク・パブリックセクターでの勤務経験から、公共政策の立案・自治体DXに関する業務も担当しています。
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このピラミッドをなんと呼ぶかについては、「情報階層」「知識階層」「知恵階層」など様々によばれている。たとえば、The wisdom hierarchy: representations of the DIKW hierarchyを参照のこと。↩
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梅本勝博「ナレッジマネジメント最近の理解と動向(情報の科学と技術62巻7号)」↩
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「パターン・ランゲージー創造的な未来をつくるための言語」(慶應義塾大学出版会)↩
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本稿では詳細には言及しないが、このあたりの考え方のベースには、発想の前提として現場の情報を綿密に収集するKJ法がある。KJ法については、このブログでも何度か言及している。KJ法の哲学とは?~全ての問題解決にKJ法が必要なワケ~などをご覧いただきたい。↩