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矛盾に満ち満ちた現場 - 活動理論

プロジェクト教本の説明はキレイ過ぎると、そう感じたことはないだろうか。あるいは逆に、なぜ全員がPMBOKやスクラムを使わないのだろうか。

あなたは「現場はもっと複雑なんだよ…」と漏らすだろう。この記事では、あえてもう一歩深く潜ってみたい。なぜ、どのように「複雑」なのだろうか?

ここまで問う人はあまり居ないかもしれない。複雑だから複雑なんだ、と。ただ、プロジェクトがどうすれば進むのかを問い続けるコパイロツトとしては、これを言語化しないわけにはいかないだろう。

実践理論の中で、比較的シンプルにこの「複雑さ」を説明してくれているのが文化・歴史的活動理論(Cultural and Historical Activity Theory)1だ。
100年以上を経て発展してきたこの理論の説明をするうえで、この系譜の源流であるカール・マルクスの労働観に触れておかなければならないだろう。

文献情報: Davide Nicolini, Practice Theory, Work, and Organization: An Introduction. Oxford University Press, 2012.

マルクスの労働観

マルクスによれば、以下の6つは、人間の活動が労働(work)としてみなされるために欠くことのできない要素だという。

  1. 労働者自身
  2. 労働者がはたらきかけているモノ(material)
  3. 労働を実行するのに利用している道具
  4. 労働者として実行しているアクション
  5. 労働を通して向かっている目的
  6. 労働による成果物(労働によって得られた新しい形式のモノ)

ここで重要なのは、モノ2や道具が労働に不可欠であるという一見当たり前な指摘である。例えば思考だけでは労働とは呼べない。世界に変化を与えるような物理的な行為につながることが必要である。また、道具を通してはじめて労働が可能になることも多い。このように、まさに過去の成果物(モノ)が次の労働の前提や道具となるという形で、労働は別の労働と、ひいては社会と接続していることが導ける。
そして、労働者の考え方やアイデンティティもその中で立ち現れている。分かり易く現代の例を使うと、明日の納期が明日だから家族を顧みずに残業している人は、その成果物の有無が納入先にどのように受け止められて処理されるのか、そしていま手元にあるモノでは足りないという認識と、いま会社にある道具(オフィス環境)なら間に合わせられる、という算段から、普段帰宅すべき時間にしない選択をしている。それを尻目に帰宅する新入社員がいれば「あいつは会社員としての自負がない」としてアイデンティティを疑うだろう。単なる行為者という意味を超えて、労働と労働者は分かち難く結びついている。

このようにマルクスは労働を全体としてのみ理解されうる複雑な現象であると捉えていた。こうした着想が理論として形を得るためには、以下に紹介する通り、数世代にわたる研究者の努力を待たねばならない。

媒介物としてのモノ

モノを介してはじめて労働が可能になるという指摘は「媒介」の重要性を浮き彫りにしている。マルクスの思想を受け継ぎながら唯物論的心理学を建設したレフ・ヴィゴツキーによれば、人間は環境に直接反応することはあり得ない。例えば、呼びかけに応えるという場面において、「呼びかけ」自体は空気振動に媒介されている。さらに言えば「呼びかけ」に適切に反応するためには、声のトーンや言葉からメッセージを読み取るといった文化的手段が必要となってくる。

このように、あらゆる行為には物理的・文化的な媒介物が不可欠なのだが、普段これらが意識されないのはなぜだろうか。ヴィゴツキー曰く、それは人間(に特有の高次精神機能)の発達過程が、外部の媒介物を自分のものとして内部に取り込んでいく、内面化のプロセスだからである。例えば、幼児が言語を習得する過程で、他人に向けていない「自己中心的な語り」を行う時期があるが、これは大人が話している言葉を自分のものとして内面化する移行期にあたる。このプロセスを通じて、人は口に出さずとも、さらには意識せずとも言葉を使って思考できるようになっていく。

これを一般化して、集団における実践に応用するとどうなるだろうか。アレクセイ・レオンチェフは実践を、オペレーション(無意識の行為)、アクション(目的志向的行為)、活動(社会的な行為単位)の3つに分類した。車の運転を例にとろう。「シフトレバーを使ったギアチェンジ」はオペレーション、「3つ目の信号を左折する」はアクション、「家に帰る」は活動である。ここで興味深いのは、初めて運転する時に「ギアチェンジ」はアクションだったろうことである。さらには、車という技術の黎明期には「ギアチェンジ」は技師が集団で設計しテストを重ねるような活動に該当しただろう。

このように、過去の努力の末に獲得された成果は、人々が無意識に利用する媒介物として世代や集団を超えて継承されている。それが技術であれ記号(言語)であれ、活動の結果としての媒介物は、人々の行為・思考の前提として内面化されていくのである。

分析単位としての活動システム

さて、以上を踏まえると実践の分析はどうあるべきだろうか。車の運転の例からも分かる通り、アクションやオペレーションの意味は活動の観点からしか理解されない。一方で、活動はアクションやオペレーションを生み出しながら自身を再生産している(仮に間違って信号を右折してしまっても、家に帰るまでは、Uターンなどのアクションが生み出されていくだろう)。こうした観点から、実践の最小の分析単位は活動3であることが分かる。これを「活動システム(下図)」として、幾つかの要素とその媒介関係で説明したのがユーリア・エンゲストロームである。

図1:活動システム(本書P.111、赤字は記事執筆者追記)

まず活動には、それに従事している主体(個人4や集団)が必要だ。その主体は、具体的なモノや抽象的な課題といった対象に向かって活動を起こす。一方で、同じ対象を共有している人たちは共同体を構成しており、共に対象の成果への変換に向かって活動を行う。
例えば、通勤中に道端で倒れた人を見かけたとしよう。私(主体)が倒れているその人(対象)に声をかけていると、他にも通りかかった数名(共同体)が集まってAEDを持ってきたり心臓マッサージなど始めたりという作業が行われる。その結果、応急処置を終えて救急車に運び込むこと(成果)ができたならば、各々は三々五々と通勤を再開するだろう。

前節で媒介の重要性を紹介したが、ここでも図1の通り各要素は他の二つの媒介的役割を担っている。例えば、上記の例で、私が他人と会話するときには、敬語や日本語・身振り手振りというルールを用いて行う必要がある。また、倒れた人に対して心臓マッサージを行う際に、手押しでは足りない場合には、AEDという道具(媒介する人工物)を使わなければならない。そして、全員で救急車を呼んでは効率が悪いといったように、分業が暗黙の裡に決まっていき、後から来た人は既存の分業を踏まえて自分の役割を探すことになる。

このようなシステムとして活動を考えるメリットは、要素単体ではなく全体の関連性に目を向けさせてくれる点にある。加えて、ある要素の変化が媒介関係にある他の要素に波及し5システム全体に影響することも説明してくれる。
最後に、活動における「対象」の3つの重要な性質を指摘したい。

  • まずは、活動にとって対象は不可欠であるという点である。実際、対象を持たない活動を思い浮かべることは困難だろう。対象の本質的な役割は、活動の参加者間で共有可能であることだ。対象が共有されることではじめて活動システムを構成する要素間の関係性が生じ、活動自体に意味と一貫性がもたらされる。上の例でいえば、人を助けたいという想いが暗黙に共有されて活動システム全体が構成されている。
  • 次に、対象は常に模索されているという点である。対象は過去に根差しつつも、未来において成果に転換されるので、常に問いに開かれている。単純な上の例でも、もし第一発見者が小学生だけだったら大人を呼んでくることが対象(目的)になるだろうし、集まった中に倒れた人の知人がいたとすれば何をすべきか協議が始まるだろう。
  • 最後に、対象は成果(あるいは成果物)へと転換されることで他の活動の要素あるいは阻害要因となるという点である。裏を返すと、他の活動の変化によって対象も調整を余儀なくされる。例えば、救急車が現れないという非常事態になったら、目的が応急処置のみならず病院搬送まで拡張されるだろう。

このように対象が、外部との媒介関係において他の活動の要素や阻害要因になりつつも、内部の媒介関係を絶えず調整し組織することで、活動は社会的なネットワークを柔軟に築くことができるのである。

活動の起爆剤としての「矛盾」

CHATは、他の実践理論とは異なり、なぜ接点の少ない人々が刹那的に協業することができるのかを説明してくれている。同じ対象さえ共有されていれば活動が成立するのだ。

一方で、このように緩い集まりが許されるということは、活動内部に否が応でも「矛盾」が生じることを示唆している。異なる歴史を持つメンバーで構成される場合はもちろん、分業が進む中で各々が対象の違う側面から見るようになってくる。さらに、成果は未来において実現されるので、対象のあるべき姿は常に議論に開かれている。そもそも蓋を開けてみたら成果を実現するのに必要なリソースが無かったり、あまりに大きな障害が明らかになることもあるだろう。

とはいえ、こうした「矛盾」を活動の阻害要因と見るのは早計だろう。むしろ、矛盾が生む緊張関係と対立こそが、活動のエネルギー源なのである。上の例でも、AEDが機能しない、日本語が話せない、救急車が現れないといった矛盾は、新たな活動を生み出すきっかけとなっている。さらには、ある要素内や間の矛盾を解決することで、今度は別の要素間で軋轢が生まれるという繰り返しによって、活動システムは発達していく。裏を返せば、矛盾は活動システムの発達に不可欠な要素であると考えられる。

ここまで来ると、プロジェクトとの関連性が見えてくるだろう。プロジェクトを活動として広義に捉えるならば、キレイに計画立てて記述できること自体が不自然なのである。「現場はもっと複雑なんだよ…」と漏らすとき、その現場はこの活動システムの網の目だと見るべきだろう。そして、活動システムの発達は矛盾と裏表の関係にある。

しかし、「活動の発達の方向性は予測できるのでは」と考える人もいるだろう。それなら計画立てられるのではないか。実はマルクス主義者も同じことを考えていた。すなわち、こうした唯物論的(materialistic)で弁証法的な発達において、矛盾は遅かれ早かれ明るみに出されて解消されるので、どれも同じ帰結へと至るのではないかと。しかし残念ながら、原理的に「発散する連続は予測できない6」。つまり活動の発達は予測不可能であり、あらかじめ計画できる日は来ないのだ!
CHAT研究者が介入的研究7にこだわる理由はここにある。すなわち、活動発達の一般理論化が困難なのだとしたら、理論自体を発展させるよりも、あくまで理論はフレームワークとして参与観察的な研究を行いながら状況に即した介入の方法論を発展させるべきだろう。加えて、クルト・レヴィンの原理によればシステムは、外部から眺めているだけでは観察できず「自分が変化させようとするまでは理解もできない」。活動を理解するためには、活動に参加しながら、積極的に「矛盾」を探して明示化していくことが必要であり、すなわち介入的研究が最も自然な選択となる。

流転する現場

以上、駆け足で見たようにCHATは、他の実践理論よりも動的変化を上手く説明してくれている。むしろ、活動システム内の要素全てが流転していると言っても良いくらいだろう。他にも、活動システムの各要素を通じて観点でより広いコンテキスト(権力、イデオロギー、支配などを含む)を取り込むことにより、組織研究におけるマクロとマクロの現象の区分を興味深い形で解消している。また、活動システムという分析単位を導入することによって、個人と社会の関係を非常にバランスよく説明していると言えるだろう。

しかし短所として、目的を共有しない広範な実践の連鎖については分析が難しいという点が挙げられる。また、活動システムの図は便利な一方で、活動の維持のために人々が動いているかのような(機能主義的な)錯覚も生じさせうる危険性もあるので、取り扱いは注意が必要だろう。

ただ、少なくとも「現場はもっと複雑なんだよ…」とぼやくときの「複雑さ」をシンプルに説明する上で、有効な観点を提供してくれている。複雑なプロジェクトだからお手上げなのではなく、複雑な事象からどう矛盾を見つけて解消し続けられるのか、が実践者の問いとなるはずだろう。

あなたのプロジェクトについて共有してください

  • あなたのプロジェクトはなぜ予測不可能なのでしょうか?その源はどこにあるでしょうか?

    • ヒント:他部署や他プロジェクトとの摩擦、ゴールの不確実性、メンバー間の認識のズレ、問題理解の不足、承認者の思惑など。活動システムの図の中の、どこに矛盾があるでしょうか。
  • かつては障害だったものが、解決されていまやプロジェクトの前提になっていることはあるでしょうか?

    • ヒント:それはもっと早く解決できたでしょうか?早く解決した場合にプロジェクトはどのように異なる発達をしたでしょうか?

  1. 以降、CHATと表記する

  2. 必ずしも物質的であることを仮定しないため、ここでは「モノ」とカタカナ表記したい。例えば、ソフトウェア、言語、法律などの無形のソシオ・マテリアリティもそれに含まれる。

  3. 呼び名こそ異なるが、ギデンスが社会的実践と呼んだであろう実践群を指している

  4. 活動理論において、独立した個人の存在を(デカルト主義的には)前提としていないことは留意したい。ここでは、活動と媒介関係の中で思考し行為する主体が想定されており、いわゆる経済学で仮定されるような自立して判断を行うエージェンシーとは異なる。

  5. 例えば、集まった人が外国人旅行者であればルールとして英会話が採用されるだろうし、私は分業の過程で(日本語を話せる唯一の人として)119番に電話をかける役割を担うだろう

  6. 連続的に発散するものは予測が出来ない。こう、著書「精神と自然」で法則として紹介したのはベイトソンだが、彼曰く、マルクス主義者の過ちは発達を予定調和とみて、いつ誰が矛盾を解消する(声を上げる)かは本質ではないとしたことにある。実際は、その逆で、いつ誰がどのように矛盾が解消するのか「こそ」が長い目で見て発達の軌跡に大きな違いをもたらしているのである。

  7. エンゲストロームを中心に「チェンジラボラトリー」と呼ばれるツールキットを用いて行われていた形成的介入研究がその代表である。

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