「ナレッジ」という言葉は、現代社会、特にビジネスの世界においては一般的な用語になっていると思われるが、必ずしも統一的な定義がなされている言葉ではなく、認識の違いが生まれやすい言葉でもある。多様な定義があること自体は必ずしも問題ではないが、「ナレッジ」と言ったときに多様な定義の中で指しているものが異なったまま会話をしていると、議論がかみ合わないケースが発生しうる。
本稿では、知識の定義の多義性も含めて整理し、ナレッジマネジメントについて考える上での共通言語の一案を提示できればと思う。
これまでの学問的アプローチ
「ナレッジ(知識)とはなにか」ということについては、紀元前のプラトンやアリストテレスの時代から考えられてきた。
その代表的なものは、知識を「正当化された真なる信念(Justified true belief)」(プラトン)と定義するもので、具体的には以下の条件で定義されている。
PだということをSが知っているのは、
1)Pが真であり、
2)PだということをSが信じており、かつ、
3)Pだということを信じる点でSが正当化されている
という場合であり、かつその場合に限られる。
しかし、これに対しては批判も行われてきた。ケディアはこの定義の矛盾を指摘1し、戸田山2も「伝統的認識論に特徴的な知識の個人主義の帰結として現れたもの」であり、「新しい認識論は「信念」を中心概念にしない」と指摘する。その上で、従来の「どのような条件を満たす信念が知識なのか」という問いではなく、「どのような形で保持され使用されている情報が知識なのか」という問いを設定する必要があるとして、情報との関係を指摘している。
また、森際3も「知識は信念の一種である必要はない。信念を持つことができないと思われるような動物についても私たちは知識を語りうる」と指摘する。
認知科学や言語心理学を専門とする今井むつみ氏は、知識について以下のように述べている。
要するに、世界は客観的に存在しても、それを視る私たちは、知識や経験のフィルターを通して世界を視ているのである。聴くこと、視ることは、私たちがもっとも多くの情報を得る経路である。聴いて記憶に取り込まれた情報、視て記憶に取り込まれた情報が「解釈されたもの」であるとしたら、それを基盤に習得される知識もまた「客観的な事実」ではありえないのだ。
最も役に立つ「生きた知識」とは、知識の断片的な要素がぺたぺた塗り重ねられて膨張していくものではない。常にダイナミックに変動していくシステムなのである。このシステムは、要素が加わることによって絶え間なく編み直され、変化していく「生き物」のような存在なのだ。
ここで大事だと思われる点として以下の点をあげたい。
1つ目は、「知識や経験のフィルターを通して世界を視ている」と今井氏が書いているように、「知識を得るための前提としての知識」が存在するということである。これはしばしば「スキーマ」や「メンタルモデル」とも言われるが、これらの知識無しには知識や情報を得られない。その意味で、固定的な意味での知識を吸収するというのも、必ずしも悪ではない。
2つ目は、知識そのもののありようである。今井氏によれば、知識は「要素が加わることによって絶え間なく編み直され、変化していく「生き物」のような存在」である。これを1つ目の点と合わせて考えれば、知識の再帰的な特徴が見えてくる。つまり、情報・知識を獲得するにはその前提となる知識(スキーマとしての知識)が必要となるが、何かしらの情報・知識を獲得すると、その前提となる知識(スキーマとしての知識)も再構成されるのである。
知識と情報の定義・違い
以上の議論を踏まえながら、「知識」の定義を検討していきたいが、ここでは「情報」との関係を確認しながら、検討を進めたい。
なぜなら、「知識」の定義を考えていく上では、「情報」の定義も踏まえながら「何が知識ではないのか」ということを考える必要があるためである。
まずは、「知識」と「情報」が辞書でどのように定義されているか確認したい。
Oxford Dictionaryで「knowledge」を見ると、下記のように定義されている。
1)Facts, information, and skills acquired through experience or education; the theoretical or practical understanding of a subject. (経験や教育によって得られる事実、情報、スキル;対象についての理論的・実践的な理解)
2)Awareness or familiarity gained by experience of a fact or situation. (ある事実や状況について経験を通して得られる気づきや精通)
また、「information」について見ると、
1)Facts provided or learned about something or someone. (何か・誰かについて与えられた・学習した事実)
2)What is conveyed or represented by a particular arrangement or sequence of things. (特定の配置または一連の事柄によって伝達または表現されるもの)
上記を見ると、「理論的・実践的な理解」に繋がるものかどうか4で、「知識」と「情報」を分けることができそうである
次に、識者の見解を確認してみよう。
物材やサービス材を対象としたこれまでのマーケティングとは異なる「知識マーケティング」について研究している冨田によれば、「情報とは人が知るものであり、知識とはその結果創られたものであり、つまり会得することによりその人の行為に結びついていくもの」というが、これは先ほどのOxford Dictionaryの「実践的な理解」という定義と繋がる。
SECIモデルを提唱した野中(1996、p86)も、「情報は行為によってひき起こされるメッセージの流れ(フロー)であり、メッセージの流れから創られた知識は、情報保持者に信念として定着し、コミットメントと次なる行為を誘発するのである。この理解は、「知識が人間の行為と本質的に関係している」ということを強調している」と、知識が行為と結びつくものであることを指摘している。
また、Davenport & Prusak(1998)は、知識を「フレーム化された経験、価値、コンテキスト情報、専門家の洞察、基礎的な直感(それらは、新しい経験と情報を評価し組み込むための環境とフレームワークを提供する)の流動的な組み合わせである。それは、知る人の心に始まり、適用されます。組織では、ドキュメントやリポジトリだけでなく、組織のルーチン、プロセス、慣行、規範にも埋め込まれることがよくあるもの」(原文は、Knowledge is a fluid mix of framed experience, values, contextual information, expert insight and grounded intuition that provides an environment and framework for evaluating and incorporating new experiences and information. It originates and is applied in the minds of knowers. In organizations, it often becomes embedded not only in documents or repositories but also in organizational routines, processes, practices and norms.)と定義する。
このDavenport & Prusakの定義によれば、知識の特性として以下のことが指摘できる。
まず1点目として、知識が、周囲の状況や各自の考えなどの文脈(コンテキスト)から独立したものではなく、極めてコンテキストに依存したものであること
2点目として、知識が形式的・暗黙的という2つの側面を持っているということ
3点目として、知識それ自身が、新しい経験を組み込むためのフレームワークにもなること
以上の議論を踏まえて、「知識」と「情報」の定義として下記の定義を考えている。
「知識」は「個人・組織・コミュニティが自ら創り出したものであり、ある事象についての理論的・体系的理解に結びつくもの、および、ある状況における行為に結びつく仮説」であり、「情報」は「すでに存在している事実、もしくはすでに存在している事実を何らかの配置によって理解が生まれる形に整理したもの」としているが、この点について何点か補足をしたい。
上記の定義では、情報を「すでに存在している事実」であるのに対して、知識を「個人・組織・コミュニティが自ら創り出したもの」としているが、この点が「知識」と「情報」の最大の違いと考えている。これは、先ほどのOxford Dictionaryの定義や冨田の指摘をベースにしたものであるが、ナレッジマネジメントの議論をする際にはこの違いを認識することで、認識のズレを軽減することができるのではないかと思う。
知識については、大きく2種類の性質のものを含めている。1つは「ある事象についての理論的・体系的理解に結びつくもの」であり、もう1つは「ある状況における行為に結びつく仮説」である。簡単に言えば、前者は「過去に起きた事象の要因・理論的背景についての理解」であり、後者は「まだ見ぬ未来に対する行動」ということになる(前者の知識は、後者の知識を誘発する存在でもある)。
3点目は、「知識」と「情報」の関係である。これらの関係性については、しばしば「情報→知識」(情報をもとにして知識を生み出す)という一方向で理解されることがあるが、「知識→情報」(知識をもとにして情報を生み出す)という方向性もある。たとえば、「温度」という情報も、「温度という概念」(=自ら創り出した知識)がなければ測定できるものではなく、「知識」と「情報」は相互循環的な関係にある。
なぜナレッジや情報という言葉を定義するのか
最後に、なぜ、データ・情報・知識・知恵ということを定義しようとしているのか、ということについて述べたい。
結論から言うと、それは、先ほどの「温度」の例にあらわれているように、「言葉」=「概念」があることで情報や知識を獲得するフレームが頭の中に形成されるから、である。温度という概念を知らなければ温度を測ることができないように、「知識」と「情報」という概念がなければ、知識と情報を分けて理解することはできない。
「知」の重要性がますます高まっていく現代社会においては、まず「知識」と「情報」を分けて捉えることが重要である。その上で、組織やコミュニティがより力を発揮するために、どのような知識、どのような情報を組織内・コミュニティ内においてどのように流通させるかという設計をしなければならない。
それは、人間個人であれば自然に行われていることであるが、人間が複数関わる組織・コミュニティにおいては意図して行う必要がある(まさに、ジョハリの窓の話である)
プロジェクトファシリテーター、プロジェクトコンサルタント。
プロジェクト・組織の推進をPMとして関わりながら、プロジェクト・組織の未来に必要なナレッジ・知を言語化するサポートをしています。
対象分野は民間企業のDX領域が中心となりますが、シンクタンク・パブリックセクターでの勤務経験から、公共政策の立案・自治体DXに関する業務も担当しています。