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チームであるがゆえの強さと弱さ

「チーム」というものは、我々にとって非常に魅力的な存在でありながら、同時に、難しいものです。

仕事をする中でも、「チームワークが大事だ」「良いチームを作れば、結果も残せる」というようにチームを求める気持ちと同時に、「結局個人だ大事だ。各自が自由にやれば良い」「合意なんか必要ない。誰かが覚悟を持って決めないと、何も動かない」「問題を指摘したところで、誰も解決しようとしてくれないし、自分でなんとかするしかない」と集団であることを否定するかのような考えも持っています。

なぜ、「チーム」という概念は、このように矛盾するようなものとして捉えられてしまうのでしょうか。

チームとはなにか

本題に入る前に、そもそも「チームとはなにか」ということについて簡単に整理したいと思います。 「チーム」については、これまで様々な定義がなされています。

目標を共有しつつ、相互作用をしながら、物事を達成する社会集団

(出典:中原ら「チームワーキング ケースとデータで学ぶ「最強チーム」のつくり方」)

Teams are social entities composed of members with high task interdependency and shared and valued common goals (Dyer, 1984)

(出典:Dyer「Team research and team training: A state of the art review」)

Work teams (a) are composed of two or more individuals, (b) who exist to perform organizationally relevant tasks, (c) share one or more common goals, (d) interact socially, (e) exhibit task interdependencies (i.e., workflow, goals, outcomes), (f) maintain and manage boundaries, and (g) are embedded in an organizational context that sets boundaries, constrains the team, and influences exchanges with other units in the broader entity.

(出典:Kozlowski & Bell「Work groups and teams in organizations: Handbook of psychology: Industrial and organizational psychology (Vol. 12)」)

また、Googleは、グループとの対比をしながら、チームを以下のように定義しています。

ワークグループ: 相互依存性が最小限という特徴があり、組織または管理上の階層関係に基づいています。ワークグループのメンバーは、情報交換のために定期的に集まる場合があります。 チーム: メンバーは相互に強く依存しながら、特定のプロジェクトを遂行するために、作業内容を計画し、問題を解決し、意思決定を下し、進捗状況を確認します。チームのメンバーは、作業を行うために互いを必要とします。

(出典:Google

チームであることの難しさ

以上から、「共通のゴール」と「相互依存的なメンバー間によるプロジェクト遂行」をチームであることの最低要件であるように思われますが、現実的には、この最低要件を満たすことは極めて難しいものです。

たとえば「共通のゴール」。
ゴールや目的を共有することの重要性は誰もが理解するところだと思いますが、現実的に意味ある形でゴールを共有することは簡単ではありません。ざっと思いつくものだけでも、以下のような問題が多くのプロジェクトで起こっているのではないでしょうか。

●ゴールを明確にすることの難しさ:「ゴールが大事なのはわかるけど、何を目指したら良いか分からない...」
●ゴールを理解することの難しさ:「ゴールを言語化してみたけど、分かるようで分からない...みんな腹落ちしてるのかな」
●ゴールを認識し続けることの難しさ:「そもそも何を目指していたんだっけ?」「ゴールとして定義していたことって、どういう意味だったっけ?」
●ゴールを最適化し続けることの難しさ:「もうこのゴール、状況に合わなくなってるんじゃないの?」

しかし、その困難さはチームが悪いわけではなく(それが要因であることもありますが)、チームが必要とされる社会的背景によって、必然的に生じているものと考えています。その社会的背景とは、我々が依拠する考えや意味供給源の不在です。現代社会の多様化・複雑化によって前提となるものが無くなれば、その前提から思考される「ゴール」を生み出し、共有することも難しくなります。

この点については、イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズやウルリッヒ・ベックらによって提唱された「再帰的近代化論」の考え方を参照しています。再帰的近代化とは、これまでの社会や伝統が付与してきた「確信できるもの」や「集合的意味供給源」を欠如させたまま、不確実性と個人化が広がり、自己および他者に対する新たな確実性を自ら創造することを強制される社会です(参考:宇野重規・田村哲樹・山崎望「デモクラシーの擁護ー再帰化する現代社会で」)

このように考えると、チームは、現代の仕事・プロジェクトに求められるものが複雑であるために必要とされるが、チームを求める現代の状況こそがチームをチームたらしめることを困難にさせていると言えるかもしれません。

現代の「チーム」に求められる役割:我々が依拠する考えや意味を我々自ら作ること

だとするならば、チームに求められるのは、我々自身が依拠する考えや意味をチームで考えることです。

これは、トートロジカルな話ですが、チームとして依拠する考えや意味は、外部から与えてもらえるものではなく、また1人で生み出すことができるものでもないのであれば、チームであるためにチームとして生み出すしかありません。

別の言い方をすれば、前提とすべきものを自ら生み出すという意味での「主体性なチームであれ」ということを現代のチームは否応なく求められている、と言えるかもれません。

チームであることが困難な時代だからこそ、チームを追求するしかない
チームであることが困難な時代だからこそ、チームを追求するしかない

主体的であるがゆえの強さと弱さ

しかし、「主体的」であることは、ポジティブな面だけでなく、難しさも抱える両義的なものです。

金子郁容さんは、「ボランティア」の主体性ついて、以下のように述べられています。

ボランティアが経験するこのような「つらさ」は、結局、自分ですすんでとった行動の結果として自分自身が苦しい立場に立たされるという、一種のパラドックスに根ざすものである。以下ではこれを「自発性パラドックス」と呼ぶことにする。この言い方をするなら、ボランティアとは、自発性パラドックスの渦の中にあえて自らを巻き込む人のことである。 (出典:ボランティアーもうひとつの情報社会、p105)


つまり、主体的であるということは、実はチームや個人を脆弱な状態(ヴァルネラブル)にすることでもあるわけです。

だとするならば、チームに不可欠な「主体性」が自然に発揮されることを期待することは現実的ではなく、主体的であることの難しさを理解した上で、主体性が発揮されやすい仕組み・環境を作っていくしかありません。

不確実な社会に対応するためのチーム

デモクラシーは、再帰的近代化のもたらす自明性の解体と不確実性を、もっとも深刻に受け止める方法である (出典:宇野重規・田村哲樹・山崎望「デモクラシーの擁護ー再帰化する現代社会で」p39)


政治学者の宇野重規さん、田村哲樹さんらは、前述の再帰的近代化について上記のように指摘されていますが、同じことがチームにも言えるのではないかと思います。


多様化するプロジェクトのもたらす自明性の解体と不確実性を、もっとも深刻に受け止めるものがチームであり、その中で語られる言葉である。
多様化するプロジェクトのもたらす自明性の解体と不確実性を、もっとも深刻に受け止めるものがチームであり、その中で語られる言葉である。


「弱く、そして強い存在であるチームがより良いチームを作っていくためには何が必要か」「プロジェクトやMTGの場で、主体性が発揮されやすい仕組み・環境とはどのようなものか」ということについては、また別のブログで整理したいと思います。


(執筆:米山知宏

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