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KJ法の哲学とは?~全ての問題解決にKJ法が必要なワケ~

先週の記事で、行為のプロセスの型として川喜田二郎のW型問題解決モデルをご紹介しました。

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人の行為は全て「判断」→「決断」→「実行」という順序を踏んでいるというものです。

その中で、仮説発想にあたる「判断」の部分が軽視されがちであるということに触れました。 ではどうして人はこのプロセスを疎かにするのでしょうか?

人はなぜ「判断」を疎かにするのか

それは人が「ホモ・シンボリクス」と呼ばれる通り、言葉や象徴を扱って考え、コミュニケーションするからです。 例えば「知識の蓄積が進んでいない」と言語化された瞬間に様々なものが捨象され、現実そのものから乖離しています。 これは言葉が象徴である以上、仕方がないことです。問題は、それが自明なものとされてしまいがちだという点です。

上の例では、「それであれば、ノウハウをドキュメントにして共有すべきではないのか」「やってみて"仮説検証"しよう」 という流れになるかもしれません。ですがここで「そもそも知識って何?」「蓄積が進んでないとは?」 「現実の抽象化として正しいのか?」といった疑問を挟むことはどれくらいあるでしょうか?上流過程が間違っていれば いくら下流で仮説検証しても意味がないことが想像できると思います。

フレームワークの乱用、そもそも何が問題なのか理解がなされずに進められる「要件定義」、前例主義的プロセスなどなど、 どれもプロジェクトや組織にとって致命的な問題を引き起こします。こういった問題に対処するものとして脚光を浴びたのがKJ法でした。 どうやって正しく言語化するのか、正しく現状を認識するのか、といった問題に対する1つの解決策であるわけです。 ですので、KJ法を「ブレスト後にグルーピングする方法でしょ?」と言う方がいらっしゃれば、浅い理解と言わざるを得ません。

川喜田二郎がKJ法を編み出した必然性

それを、なぜ文化人類学者であった川喜田二郎が考え付いたのでしょうか?それは文化人類学や民族学こそ、この問題を 真正面から取り扱う学問だったからです。フィールドワークで異文化の民族と生活を共にしながら、その生活様式を解釈し明らかにする わけですが、目の前の事象を日本や西洋の文化の「色眼鏡」を通じて解釈をしては意味がありません。とはいえ、解釈をしなければ 単なる事実の羅列に留まってしまいます。こうした、思い込みを排して物事を全体的に把握するにはどうするか、解釈をせず解釈をするという ジレンマに取り組みながらも、研究者に依存しない再現性が求められる環境にいたからこそ生まれた方法論なのだろうと想像します。

ですので、「アテハメ主義の蔓延」を現代の危機の原因であるとまで言い切った川喜田二郎にとって、自身の生み出したKJ法が 表層的に解釈され歪曲されて伝わっていったのは本当に皮肉なことです。

実際、米国政府が公開しているデザインメソッド集の18Fでも堂々とオリジナルとは全く異なる内容が書かれてますね。。 methods.18f.gov

コパイロツトとKJ法

コパイロツト・メンバーは、京都の川喜田研究所にお世話になり、代表の川喜田晶子先生のもと2度ほど研修を受けてきました。 もちろん川喜田二郎の思想は深いので全て理解できているはずもなく、ここで伝えられるとも思いませんが、問題解決において、 あるいは情報の扱い方において非常に重要な考え方がちりばめられているので、次回はKJ法のプロセスを具体的に紹介していこうと思います。

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また関連して、コパイロツトでは上述の「判断」の部分を正しく行うための支援として、プロジェクト・ステートメント・デザインという サービスも提供しています(KJ法の哲学は大いに参考にしていますがプロセスは用いておりません)。その手法や考え方についても、 別の機会にご紹介できればと思います。

(執筆:八木翔太郎)

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